まいにちいろいろ

秘境で暮らす私の、てづくりとまいにちいろいろ。

母の日に・・

震災の前の日にこれを書いていて、写真が間に合わなかったので
保存しておいたら、なんだか載せるタイミングを逃してしまいました。

ちょっと遅くなりましたが、今日は母の日でした。

私が大好きだった母のことを書いてみましたので、
よかったら読んでくださいね。

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昨日は亡くなった母の25回目の命日でした。

毎年のことながらもうそんなに経つんだなぁ、と
思います。

亡くなった人のことはいいことしか思い出せない、とか
よく言うし、私が反抗期になる前に母は亡くなって
しまったからかもしれないけれど、母に怒られたのは
あの時とあの時、ケンカしたのはあの時、と
きちんと思いだせる位しかないのです。

とても優しいお母さんでした。

私に子供ができてからそのことを父に言うと、父も
「お母さんはあんまり怒らなかった、
 「んも~、だめでしょ」とかいう感じだったよ」

母が亡くなったあと再婚をしていない父。
いつも笑いながら「お母さんがやっぱり1番だからね」
と言います。


妹たちは年子だし、母がいくら専業主婦でも、父は仕事が
忙しくて帰宅は毎日深夜。休みは月1、2回。
ほとんど1人で3人の子どもを育てるのは大変だったでしょう。
自分が母親になってみると子育ての大変さがよく分かるだけに、
よくあんなに気長に付き合ってくれたなぁと思うのです。

うちはご飯中はテレビ禁止だったので、いつも今日学校であった
こととか、そんな話をしながらご飯を食べていました。

それで私は今でもあまりテレビに興味がないのかもしれません。
主人はテレビをみていないと、子供同士の話についていけない、
と言うのですが、私は学校でもそんな風に思ったことはありません
でした。(今は違うかもしれませんが)

それよりも友達の話についていけずに困ったのが、
「兄弟の1番上はいつも我慢しなくちゃいけない」という話。

クラスの長男、長女たちばかりでたまたま話していて、
「お兄ちゃんだから我慢しなさいって言われる」とか
「お姉ちゃんだからお手伝いしてって言われる」とか
つまり「1番上は損だよね~」ということで盛り上がっていた
のですが、私はあいまいに笑うだけで何も言えませんでした。

というのも「お姉ちゃんだから」という言葉を母から
言われたことがまったくなかったからなのです。

その時は何も意識していなかったけど、いま実際に自分の子どもを
みていると、上の子というのは言われなくても下がいれば
がんばってしまうような気がします。
小さくても自分が下の子を守ってやるんだって、いつも
心の芯にあるんです。

母がどうしてだったのかは知らないけれど、私も自然と
お姉ちゃんなんだから・・というのは言わないようにしています。


また、母は優しかったけど、人への接し方には細かいところがあり、
家族で父の仕事関係、または親戚、友達の家などに行ったあとには
必ず帰りの車の中でお説教でした。

「お年玉を欲しそうにしない」「お年玉をその人の前で開けない」
「ありがとうございます、は子供らしくない、ありがとう、でいいの」
「いつも言われた人の気持ちを考えてから口にだしなさい」
などなど。

ああいう時はこうすればよかったと具体的に言われることも多かったです。

子供の時は車に乗ったら、ああ~始まった、とちょっと憂鬱な気持ちに
なることもあったけど、結構言われたことって自分の中に根付いているんです。

私は母に言われたことをけっこう覚えていて、そうなろう、としているんですね。
言われたことも、例えば手作りのおやつにしても、
母がしてくれたことを今自分の子供に自然にしています。

洋服やバッグなどもよく作ってくれました。
刺繍がされた、白いキルティングの通学バッグを
覚えています。

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母の作ってくれた浴衣を着て・・
私と妹(次女)。
母は渋好みでした。


その調子で私も母のように優しくなりたいけど、それはなかなかうまく
いきません、子供たちにすぐ怒ってしまいます^_^;

それに子供たちが遊んでいてくれたら、これ幸いと家事を次々済ます私・・。
でも母は違いました。

母は夜ご飯が済むと、いつも一緒に遊んでくれました。
おはじきやトランプ、懐かしのボードゲーム(人生ゲームや
ドンジャラなど)。
ご飯中はテレビ禁止の分、ビデオに録っておいてくれた「日本昔話」や
アニメ、映画などを一緒に観ることもありました。

いつもにこにこしていて、人を笑わすのが好きだった母。

夜寝るとき、その時流行っていた、佐藤B作の真似をして「バイナラ!」と
言ってドアを閉めた後、「ナライバ!」と言ってまたドアを開け、
私たち姉妹を笑わせてくれた、そんななんでもないことをよく思い出します。


プリントの宿題が分からないとき、「ちょっと~、教科書も持ってきて」と
真剣に付き合ってくれた母。

きれい好きで、家に私の友達を呼ぶのを嫌がっていた母。

学校から帰るとフリオ・イグレシアスを聴きながら掃除をしていた母。

ウイスキーのコーラ割を飲みながら毎日遅い父の帰りを待っていた母。

特に冬は母を思い出さない日はありません。

子供に洋服を着せるとき、中の肌着が肘のあたりでぐちゃぐちゃになります。
あれを袖口から手を入れて肌着をひっぱってあげる。

あの時の母の冷たい手。
洗濯や炊事で常に水をさわるからお母さんの手は冷たかったんだ。

今は私が「おかあさん、つめた~い」と子供たちに嫌がられていますが
それがどんなにやさしくてあたたかいものだったかを、
今更ながら思うのです。

去年、母が亡くなった時と同じ年齢になった私。

まだまだできていないことばかりですが、少しずつでも
母みたいになれたらな・・・と思っています。

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[ 2011/05/08 20:31 ] 思うこと・小話 | TB(0) | CM(2)
わ!そっくり!
[ 2011/05/08 21:14 ] [ 編集 ]
お母さんの思い出、人それぞれでしょうが、とても温かいものを感じました。
つむじんこさんも、どんどん素敵なお母さんになっていくのだろうなーと思います。
親の愛はどこまでも深いのですねー。
[ 2011/05/10 11:28 ] [ 編集 ]
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